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YES/NOの選択から、震災を疑似体験し、語り継ぐ。神戸クロスロード研究会代表理事 浜尚美さん

「あなたは・・・食料担当の職員。被災から数時間。避難所には3,000人が避難しているとの確かな情報が得られた。現時点で確保された食料は2,000食。以降の見通しは今のところなし。まず、2,000食を配る?」

こんな問題を目の前にして、あなたはどういう選択をするでしょうか?災害が発生すると、さまざまな選択を迫られる場面に遭遇します。でも、実際にその場面になっても、決断をするのはなかなか難しいものです。

「クロスロード」は、「岐路・分かれ道」の意味。災害対応などの難しい選択肢を前に、決断をすることを疑似体験できるゲームです。このクロスロードを全国に広めている浜尚美さんは、阪神・淡路大震災の時には神戸市の職員でした。もともとは、神戸出身ではない浜さん。震災を経験し、その後クロスロードと出会って、現在に至るまで、浜さんを動かしてきたものは何だったのでしょうか。

P1010950元神戸市職員、現在はクロスロード・ファシリテーターとして活躍する浜尚美さん


妊娠4ヵ月で体験した大震災

阪神・淡路大震災が起こったとき、浜さんは妊娠4ヵ月。神戸市西区の自宅は大きな被害は受けませんでしたが、電気もガスもストップ。初めての妊娠中に遭遇した大災害で、不安でいっぱいでした。交通機関も止まり、体調も不安定だったため、震災後最初の1週間は仕事に行けなかったといいます。

当時の浜さんは神戸市職員として保健所に勤務していたので、職場に出勤すると、すぐに震災の対応に追われることになりました。被害の大きかった長田区の避難所でのトイレや配給食糧の衛生状態を見るために、ワンボックスカーを運転して、地震の被害でガタガタになった道を走り、一日で十数カ所の避難所を回ったこともありました。
避難所には、大勢の人が所狭しと避難しており、ライフラインも寸断されている中、トイレや食事の際の衛生状態を確保することは、非常に難しいと実感しました。その後は妊婦という事で、災害対応に当たっている職員の後方支援をしました。私の勤務していた区では幸い震災の被害が少なかったので、直接災害対応の最前線に出る場面は少なかったのですが、通常業務もある中で、被害が大きかった地域の応援にも行かなければならない……という大変さを知りました。

その後、浜さんは出産。産休中は初めての子育てに必死で、復旧・復興に向かう神戸の様子はテレビで見たり、人伝えで知ったりするだけでした。
「震災の直後、市民や同僚が大変な思いをしている時に、何もできなかった」という、想いはずっとありました。そんな中、震災の年に生まれた子どもに物心がついてくると、自分の生まれた年に起きた震災のことや、その震災で大変な思いをした人たちがいたんだということをきちんと伝えないといけないという想いが強まってきました。

そこで、1月17日には、震災関連の写真集を子どもに見せたり、東遊園地で行われる追悼の催しに一緒に参加したりしました。そうしていくうちに、私自身は、家が壊れたりして直接被災したわけではありませんが、体験した人の思いを語り継いでいくことはできるのではないか、と気付いたのです。


クロスロードとの出会い

その後、引き続き神戸市の職員として働いていた浜さんは、ご自身の仕事の専門である食や公衆衛生の分野で、“リスク・コミュニケーション”への関心を深めていきます。リスク・コミュニケーションとは、社会を取り巻くリスクに関する正確な情報を、行政、専門家、企業、市民などの関係者の間で共有し、相互に意思疎通を図り、より良い問題解決へと導く活動のことです。

例えば、災害や化学物質をはじめとする環境問題、原子力施設に対する住民理解の醸成などにおいて必要だと考えられています。浜さんは、食の安全の分野でリスク・コミュニケーションという考え方に出会い、学んでいく中で、クロスロードというリスクコミュニケーションゲームに出会います。
出会ったというか、ぶち当たっちゃったというか。やってみたら本当に奥が深いツールで、はまってしまって。そして、クロスロードのテーマである防災のほうに舵を切っていったという感じなんです。

阪神・淡路大震災から7年が過ぎた2002年、災害対応を行った神戸市の職員に対して、インタビュー調査が行われました。これは、「文部科学省大都市大震災軽減化特別プロジェクト」の一環で行われたものです。そして、その後5年間にわたって、膨大なインタビュー記録が蓄積されました。このインタビュー調査をもとに、京都大学の矢守克也教授が、慶應義塾大学の吉川肇子教授と産業技術大学院大学の網代剛助教と共に開発したのが、クロスロードです。

DSC_0424奇数の人数でプレイすることで、意見が分かれて議論になりやすい(神戸市提供)

クロスロードはシンプルなゲームです。5人ほどでテーブルを囲み、それぞれ「イエス」と「ノー」のカードを1枚ずつ持ちます。一人が、問題カードを読み、他の人がその答えとしてどちらかのカードを一斉に出し、その選択の理由を言い合います。出したカードの、多数派に属せば、青座布団を獲得。ただし、少数派が一人だけだったら、その人は金座布団を獲得します。少数意見を否定するのではなく、「なぜ、そう考えたのか?」に耳を傾け、議論を深めようというゲームなのです。

DSC_0070座布団は2種類、ルールはとてもシンプル(神戸市提供)
クロスロードの面白いところは、実際に震災を体験していない人も、その体験を共有できるというところにあります。震災の直後から、被災地ではさまざまな非日常の出来事が起こり、ジレンマを伴う難しい選択が求められました。それをクロスロードで経験でき、また、実際にそうした体験を持っている人は、自分の体験を語って、他の人と共有することもできます。正しい答えがあるわけではなく、そのことについて考えたり議論したりすることが大切なのです。

クロスロードは、防災以外のテーマにも広がっています。今までに「子育て」や「環境」、「食の安全」「ケースワーカー」などをテーマにしたクロスロードも行ってきました。「子育て」では、浜さん自身の子育てのジレンマを、地域の子育て支援者の会合でやってみました。すると、自分が作った問題に、たくさんの人からアドバイスをもらえ、さらにマンネリ化していた会合が活気づいたなどの効果があったそうです。また、ケースワーカーなど、マニュアル化しにくい業務について伝えるためにも効果的です。

hamasan_宮城1「YES/NO」の後に、なぜそう思ったかを話し合うことが大切


全国に広がりはじめたクロスロード

クロスロードの持つ力に気付いた浜さんは、2005年9月、神戸市職員を中心とした約20名の有志で「神戸クロスロード研究会」を立ち上げます。ちょうど震災から10年が過ぎ、神戸市職員の中にも、震災を経験していない職員が増えはじめた頃でした。
職員の間で震災の体験を伝えていくことが必要だと感じていて、クロスロードを使った研修を試みました。難しい選択肢に対して「イエス」「ノー」を選んだ理由を述べ合う中で、震災を体験した職員の中には自分の実体験を語る人もいて、このゲームを通じて震災体験を伝えることができることがわかりました。

また、他の自治体の職員と、震災を体験した神戸市職員が一緒にクロスロードをやる場面で、その想いをさらに強くしました。そして、それなら、これを使って、たくさんの人に神戸の震災の教訓を伝えるお手伝いができれば、と思いました。

例えば、冒頭の「3,000人に対して2,000食しか確保できていない」という問題に対しては、「問題の設定が間違っている。あの時は数時間で2,000食は来なかった」と言われた婦人会の方もいたそうです。また、「これは「配る」が正しい。ワシのいた避難所では、あの時は家族単位で配った」と言われた消防団のおじさんもいて、震災を体験していない人も、クロスロードを通して疑似体験できるのです。

浜さんは、2006年に神戸市を退職後、クロスロード・ファシリテーターとして本格的に活動を始めます。神戸クロスロード研究会のメンバーと共に、全国に飛び、自治体や地域の防災研修でやクロスロードを使ったワークショップを行うようになりました。そして、そこでの議論や経験がさらにクロスロードを発展させていきました。
「これをやろう!」という強い決意があったというよりは、全国からの「神戸の体験を聞かせてほしい。自分の地域や組織の防災に役立てたい」という要望に応えるうちに、クロスロードにはまっていったという方がしっくりきます。阪神・淡路大震災を経験した神戸にいたからこそ、できたことだと思いますね。

クロスロードには、「クロスロード・ファシリテータ進級制度」というものがあります。クロスロードの進行役(ファシリテーター)を養成する制度のことで、ファシリテーターとしてクロスロードを実践した数を報告することで、中級、上級と進級していくものです。

このファシリテーターが集う大会も東京、大阪、高知、神戸、広島、宮城などで開催され、クロスロードのネットワークは北海道から沖縄まで広がってきました。神戸クロスロード研究会では、2005年~2013年度で370回のクロスロード・ワークショップを実施、約17,000名が体験し、海外にも広がり始めました。

そんな中、浜さんたちが直面したのが、2011年3月に起こった東日本大震災でした。


東日本大震災を目の当たりにして

クロスロード・ファシリテーターとして、神戸の経験を通じて防災や震災時の対応について伝え続けてきた浜さん。しかし、そんな浜さんでも、東日本大震災が起こったとき、目の前の現実に圧倒されてしまったといいます。
阪神・淡路大震災の後、何度も何度も、震災のことを語ってきたんです。それなのに、あれ以上の規模の災害が、自分が生きている間にもう一度起こるとは思っていなかったことに気付かされました。東日本大震災が起こって、意識が変わりました。「震災後」でなく、常に「震災前」なんだ、と。「ああ、もっと真剣に取りくまないと、救える命も救えないかもしれない』との想いを新たにしました。

浜さんは、クロスロードを広め、防災に関わっていくうちに、「みんな自分の命のことなのに、意外と真剣に考えていない」ことに気付いたのだといいます。例えば、自治体が毎年、全戸にハザードマップを配っているのに「そんなん来とった?」と言う人がいる。神戸でもそういう状況があるそうです。
日本に住んでいる以上、地震や災害は誰にとっても他人事ではないですよね。いつ自分が被災するかわからない。それなのに、自分ごととして考えていなければ、いくら情報を出しても、頭に入ってきません。だから、まずは自分のこととして考えてもらえる仕掛けが必要で、クロスロードもその一つかな、と。

クロスロードは、東日本大震災の現場では、どのような役割を果たしたのでしょうか?神戸クロスロード研究会は、東日本大震災の起こる1年前、2010年2月に宮城県の職員研修でクロスロードを行っていました。そして、2011年の4月には、神戸市の新規採用職員研修で初めてクロスロードを行う予定だったのです。しかし、3月11日に起こった大震災と甚大な被害を目の当たりにし、今まで選んだクロスロードの設問をそのまま研修でやっていいのか、という葛藤が生じたといいます。

O宮城県の「社会的合意形成マネジメント研修」で、クロスロードゲームと、クロスロードを使って業務上の問題を作る、というプログラムを行いました

そんなときに、神戸クロスロード研究会に、宮城県の職員研修を受けた男性から一通のメールが届きます。「クロスロードを体験し、災害時には何かを決めて進まなければならない局面があることを知っていたことで、東日本大震災のときに予想もしていなかった事態が起こったときにも、対処できた気がします」と書かれていました。

そのメールを読んで、浜さんたちは、クロスロードの持つ体験を共有する力、考えさせる力を改めて知ります。そして、震災を語り継ぐことの大切さも。

神戸クロスロード研究会は、クロスロードの研修でつながりがあった宮城や福島で被災された方々に、震災直後から救援物資を送るなどの直接支援をしました。

浜さん自身も石巻にボランティアに行き、そこで出会った現地の方々との交流が今も続いています。そして、東北で被害に遭った人々の「神戸の人ならわかってくれるんじゃないか」という想いや、「神戸の人はどうやって震災体験を伝えているんだろう」という関心を感じ続けています。

石巻2石巻市大街道でのボランティア活動。神戸からボランティアバスを出しました


「地産地消」になってほしい

2015年は、震災から20年、そして神戸クロスロード研究会ができてから10年になります。この節目に向けて、研究会も様々な取り組みをしています。一つは、2014年夏に出版された『被災地デイズ』。クロスロードの手法を生かした31の問いが入っている防災本です。大地震と大津波に襲われた4人家族が、被災直後から数年後までジレンマに悩みながら過ごす様子を通して、その状況を疑似体験したり、神戸や東北で実際に起こったことを知ったりすることができます。

hisaichidaysイラスト・事例が豊富で、中学生くらいから読める「被災地デイズ」

もう一つは、2014年12月23日に開催された「1000人のクロスロード2014」です。神戸をメイン会場に、東日本大震災で被害を受けた仙台、南海トラフ大地震に備える高知をサブ会場としてネットでつなぎ、さらに札幌、酒田、新潟、横浜、静岡、呉、福岡もサテライト会場として、1,000人が同時にクロスロードを行いました。大災害に備え、家族や職場、地域で防災について考えると同時に、多くの人の知恵を集結させる、初めての試みです。

DSC_04282014年12月23日に開催された「1000人のクロスロード2014」。「神戸会場は580名、全国(札幌・仙台・酒田・新潟・横浜・静岡・呉・高知・福岡)の会場に720人、合計1300人が参加した」と浜さん(神戸市提供)

浜さんは「クロスロードが地産地消になっていってほしい」といいます。神戸クロスロード研究会には、全国からクロスロードの依頼があります。その全部に研究会が対応するのではなく、ご当地のクロスロード・ファシリテーターにつないで、その地域でクロスロードが完結できる仕組みを作りたいそうです。今回の「1000人のクロスロード」では、全国9ヵ所で受け皿ができました。これをもっと増やしていきたいと言います。
今回の「1000人のクロスロード」では、「若い世代に参加してもらいたい」という狙いから、小中学校を中心にチラシを配ってもらいました。ご家族での参加も結構ありました。また、神戸会場では、神戸学院大学や舞子高校の学生がテーブルファシリテーターとして参加しました。クロスロードを通じて、若い世代にも神戸の震災の体験と教訓が伝わり、防災について考えるきっかけとなったのではと考えています。

P1010948「人の話を聞いて、考え、自分や家族の命を守ることをもっと真剣に考えてほしい」と語る浜さん

神戸から生まれ、全国に広がりを見せているクロスロード。災害は起こってほしくないものですが、災害大国日本に生きている私たちは、その中でどう自分や大切な人たちの命を守るかを考えていかなければなりません。そのために、一度、クロスロードを体験してみてはいかがでしょうか。

(取材・文/吉本紀子)
この記事はgreenz.jpの協力により作成されています

浜 尚美

1965年栃木県生まれ。北海道大学獣医学部卒業後、1991年より神戸市職員(獣医師・衛生監視員)になる。震災時は29歳、神戸市西区の自宅にいた。市職員として避難所の衛生指導など、災害対応を経験。2005年「神戸クロスロード研究会」設立に参加し、06年に神戸市を退職、クロスロード・ファシリテーターとして活動。共著に『被災地デイズ』(2014年・弘文堂)

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