二十歳

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はじめて知った、母の想い。信念をもって自分の道を切りひらいていく。宋順花さん・黄金福さん

DSC_3936阪神・淡路大震災が発生するまで暮らしていた住居と事務所の前で

昨日とは、まったくちがう景色が広がっていた

宋 順花(そんすんふぁ)さんは現在、関西大学の2回生。東アジアや日韓関係に興味を持ち、大学ではアジアを中心とした国際的な分野について学びながら、災害復興支援に関わるボランティア活動にも取り組んでいるそうです。

阪神・淡路大震災が発生したとき、順花さんは生後5カ月。とにかく必死だったんです、と当時の様子を語る、お母さんの金福(くんぼく)さん。2人の幼い姉妹を抱え、さらにお腹の中には小さな命が宿っていたそうです。
震災の数日前からインフルエンザにかかっていた順花と、この子より1つ上の姉を看病していたときでした。急にドーン!と大きな音がして、とっさに子どもたちに覆いかぶさりました。背中の上には、大きなタンスが倒れてきて。何が起こったのかさっぱりわからないまま、とにかく脱出しなくてはと真っ暗な中を無我夢中で出口を探しました。2人の子どもとお腹の子を抱えてようやく外に出てみると…昨日とは、まったく違う景色が広がっていたんです。

DSC_3902大震災が発生した瞬間も、幼い姉妹はこうして並んで眠っていた

断続的に余震が続く中、助けを呼ぶ声が響き、お父さんは救出作業を懸命に手伝っていました。お母さんはパジャマ姿のままで立ちつくし、震えが止まらなかったといいます。

あたりが明るくなってから、近くの小学校へ避難。なんとか確保できた居場所は、体育館のグランドピアノの下。横になって休めるようなスペースはなく、数日間は家族でしゃがみこむようにして過ごしたといいます。
体育館にも廊下にも、人があふれていました。食べ物がなかったので、壊れた家の中からミルクを探し出し、お湯をもらって2人の子どもたちに飲ませました。震災後、2日目くらいから出血がひどくなって…お腹の子はもしかしたらだめかもしれない、とあきらめそうになっていました。とにかく今は、赤んぼうのこの子たちを命がけで守ろう、と決意を固めていたんです。

その後、順花さん姉妹とお母さんの3人は韓国のお母さんのご実家に身を寄せます。お腹の赤ちゃんを診てもらうため、病院へ行ったところ…
お医者さんが、「お腹の子は元気よ!」と言ったんです。あんなに過酷な状況だったにもかかわらず、赤ちゃんは元気に生きていてくれた。あまりにもうれしくて、思わず「ウソー!」と叫びました。

DSC_3843震災当時の様子をふりかえる、お母さんの金福さん、話に耳を傾ける順花さん

人は、より強く生きようとするもの

順花さんたちが韓国から帰国したのは、地震発生から3週間後。被災した神戸市長田区の家は、屋根も壁もない「半壊」状態でした。応急処置としてビニールシートやベニヤ板を張り、半年ほどは「空の見える部屋」で暮らしていたのだそう。不自由な生活を強いられる状態だったにも関わらず日本に戻ってきたのは、ご近所の人たちのことが心配だったから、とお母さんは言葉を続けます。
子どもたちが幼かったので不安はあったけど、「逃げたらあかん」と思ったんです。自分には何ができるだろうと考えたときに浮かんだのが、中学時代から結婚前まで続けていた韓国の伝統芸能「ソルチャング」でした。

「ソルチャング」とは、チャングという太鼓で音を奏でながら歌い、舞う韓国の伝統芸能。震災をきっかけに活動を再開したお母さんは、現在も「ソルチャング」の師範として、復興イベントに参加したり、次世代に伝えていくための指導を続けています。生徒さんの数は数えきれないほどで、順花さんも最近まで、お姉さんと一緒に舞台に立っていたのだそうです。
人は、どんな困難があっても、より強く生きようとするものなんですよね。特に家族を失った方々は、今も震災の傷を抱えて生きておられることが多いと思うんです。時々、無事だったことが申し訳ないような気持ちになることがあります。だから、私たちはがんばって生きなきゃ、とソルチャングを続けているんです。

DSC_3802ソルチャングを披露してくださったお母さん、場の空気が凛としたやさしさに包まれた

はじめて知った、母の想い

強くやさしく、いつも明るいお母さんのもとで育った子どもたち。阪神・淡路大震災が発生したときにお腹の中にいた弟は、韓国の武道であるテコンドーに打ち込み、お姉さんは韓国の大学で伝統芸能を学んでいます。たくましいお母さんの生き様が子どもたちの心に与えた影響は、とてつもなく大きかったに違いありません。

日ごろから、親子で震災について語り合う機会は多いという順花さんですが、このインタビューを通して知った事実もありました。
母が震災をきっかけにソルチャングを再始動したことは、今日はじめて聞きました。幼いころからこの音色を聴いて育ったので、母がソルチャングの奏者であることは当たり前のことだったんです。私は受験をきっかけにやめてしまったのですが、幼いころは練習に打ち込み、神戸まつりをはじめ、たくさんの舞台に立ちました。

4人きょうだいで育ちましたが、私たちがしたいと言ったことに母はまったく反対しませんでした。いつも、私たちの判断に任せてくれたんです。あまり意識したことはなかったけれど、無意識に母の影響を受けていたのかもしれません。母のことは親というより、人として尊敬しています。

DSC_3900尊敬しているお母さんのもと、子どもたちはすくすくと育った

あのころの記憶はないけれど…助けあうことは、きっとできる

現在、IVUSA(イビューサ)という日本最大級の学生ボランティア団体に所属しているほか、アジアや日韓関係にまつわる活動にも参加しているという順花さん。自分の考えをしっかり持っている順花さんが語る言葉には、強い信念のようなものがうかがえます。
新しい活動をすることが、自分にとって大きな経験になるのではないかと考えて、ボランティアを始めました。阪神・淡路大震災の記憶はないけれど、あの震災を経験している神戸で暮らす私たちだからこそ、東北へ行かなくちゃ、という想いがあったんです。ふたつの震災で受けた被害はまったく別のものですが、共通する部分や共感できるところがきっとあるから、助けあうことができると思うんです。

東日本大震災の復興ボランティアとして、宮城県の南にある山元町という町を訪問。そこにはボランティアがほとんど入っておらず、救援物資もあまり届いていないエリアだったのだそうです。
私がお手伝いしたのは、骨塚(こつづか)を整えることでした。骨塚とは、津波と同じくらいの、4メートルも高さのある塚のこと。津波で流失してしまった遺骨とがれきが混ざっている状態でした。

今年で10年目を迎えた新潟県中越大震災の復興支援にも、参加させていただきました。復興のシンボルとなっている花火大会のお手伝いだったのですが、予算や人手が不足しており、続けるのがむずかしくなってきているようで…。地元の方々は続けていきたいと願っておられるとのこと、少しでもそのお手伝いができればいいなと考えたんです。

DSC_3887ていねいに言葉を選びながら語り続ける、順花さん

いろんな経験を重ねて、自分の道を切り拓いてほしい

こうして、日々さまざまな活動にはげむ順花さんの姿は、お母さんの目にはどのように映っているのでしょうか。
順花のボランティア活動は、本当は私がしたいことでもあるんです。私の代わりに順花が務めてくれているような気がして、すくわれている部分があります。人というのは、最後は自分の意思で生きていくものだから…さまざまな経験を通していろんなことを学び、自分の力で道を切りひらいてほしいなと願っています。

困っている人に出会ったり、大きな災害などが起こったときに心が動くのは、大震災に遭遇した経験があったからだと思うんです。人のことを思いやる気持ちは、いつでも持ち続けていたいですね。

親子そろって、神戸が大好きだという順花さんとお母さん。インタビューの最後に、これからの夢を、順花さんにお聞きしました。
将来のことはまだ明確ではないけれど、もっとアジアの勉強をしたいと思っています。国籍が違うだけで隔たりがあるような社会でなくなればいいなぁと。ボランティア活動も、卒業してからもできれば続けたいと思っています。

DSC_3916阪神・淡路大震災で半壊した元住居を、あらためて見つめる

son順花さんから、お母さんへのメッセージ。まっすぐな感謝の気持ちがこめられている

(写真/片岡杏子 取材・文/二階堂薫、山森彩)

宋順花(そんすんふぁ)

1994年8月生まれ。生後5カ月のとき、神戸市長田区で被災。現在は、関西大学政策創造学部でアジアを中心とした国際的な分野について学びながら、災害復興や日韓関係に関わるボランティア活動にたずさわっている。

 

黄金福(ふぁんくんぼく)

1歳と生後5カ月の幼い姉妹を抱え、お腹に小さな命を宿していた時に阪神・淡路大震災が発生。以後、4人の子どもを育てながら、韓国の伝統芸能「ソルチャング」の師範として、次世代に伝える活動を継続中。

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