これからが気になる話
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突然のことで、なにが起こったのかさっぱりわかりませんでした。地震に気づいて起きた4歳の息子に「危ないから、布団をかぶっていなさい」と言って、揺れがおさまるのを待ちました。けれど、いざ脱出しようと思ったら、寝室にあった大きなタンスが倒れていて…寝室と玄関をつなぐ廊下がふさがれていたんです。
息子に、窓から助けを呼びなさいと言いました。息子が声をあげると、近所の方が気づいてくださり、すぐに見知らぬ若者が助けに来てくれたんです。息子が「僕の妹を先に助けて!」と叫んだので、赤ちゃんだった智帆を若者に託して、私たちも着の身着のまま、裸足で脱出しました。助けてくださったのがどなただったのか、今でもわからないのですが…4階に住んでいた私たちを外まで誘導してくださったおかげで、私たち親子はケガひとつなく、外に出ることができました。
僕は、震災が起きたときは会社にいました。神戸市東灘区の海際に社屋があり、周囲では地盤の液状化現象が起きていたので、しばらく動けなかったんです。あとから出勤してきた同僚が「まちが大変なことになってる!」と教えてくれたので、地震発生から1時間半ほどたったころ、あわてて家に帰りました。くずれ落ちたマンションを見て、家族は無事ではないかもしれないと絶望しました。けれど、ご近所の方が「ご家族は小学校にいるよ」と教えてくれて…あわてて駆けつけたんです。
当時、智帆は9カ月の赤ちゃんでしたが、まわりの方々には本当に親切にしていただいて、手がかかることはありませんでした。避難所では、1つの教室に数世帯が一緒に暮らしていて。みなさん、思いやりのある人たちばかりで…小さな子どもがいるからといって、肩身のせまい思いをするようなことはありませんでした。自宅で飼っていたザリガニを避難所で世話したいと息子が言い出したときも、「子どものためなら、いいやん」と快く受け入れてくださったんです。震災直後も、姉が30kmも離れた明石から歩いて物資を届けてくれたり、近くに住む友人がお風呂に入りにおいでと声をかけてくれたり…。人のつながりに助けられ、心細さを感じることはありませんでした。
もともと住んでいた地域から遠かったり、土地勘のないエリアに建てられた仮設住宅に住まなければならないなど、やむをえず不自由な暮らしを強いられた方が大勢いる中で、暮らしていた場所に近い仮設住宅で暮らすことができた私たちは、恵まれていたなと思います。ただ、息子は転校が多かったので、気の毒なことをしました。引っ越しが多くて大変だったけど、まわりの方々に助けていただいたからこそ、乗り越えてこられたのだと思います。
阪神・淡路大震災については、たまに話すことがあっても詳しく聞いたことはありませんでした。だから、今日はじめて知ったことがたくさんあります。体験はしているものの記憶がないので、神戸がそんな状態だったなんて…正直、とてもおどろいています。
思い出したくなかったので、これまでは多くを語ってこなかったんです。
娘がハタチになるので、20年経ったんだなぁという実感が強いです。智帆は、小学校の避難所で歩けるようになりました。今でも「智帆ちゃんが歩いたよ!」とみなさんによろこんでもらったことを覚えています。この子は、みんなに守られて育ってきたんですよね。
小学生時代から、漫才師になりたくて。テレビでお笑い番組を見ているうちに、「芸人さんたちはどうしてこんなに面白い言いまわしを思いつくんだろう」と、とっても興味がわいたんです。大阪を中心に活動していた漫才師の方々が全国ネットで活躍していく姿を見て、憧れがいっそう強くなった面もありますね。だから、高校時代まで、ネタ帳をつくっては、友人である相方と漫才をしていました。
ある女性漫才師さんにあこがれて、共にデビューを目指していた相方もいたのですが…彼女には別の夢があって。相方にはその夢を叶えてほしいと思い、自分の夢を考え直したんです。それでも、どうしてもお笑いに関わる仕事がしたくって…芸人さんのマネージャーになる!という夢を抱くようになりました。テレビ番組などを欠かさずチェックしつつ、ライブにも足を運んで、芸人さんをできるだけ生で見るようにしていて、「この芸人さんは今、どんな方向に向かっていきたいんだろう」などと勝手に推測したりして、自分なりに芸人さんの研究をしています。2015年からは、大学に通いながら芸人さんのマネージャーを養成する学校に通います。好きな分野では負けたくないので、根気強く努力していくつもりです。
「中学を卒業したら、芸人さんに弟子入りする」と言い出したときは、さすがにおどろきました。けれど、本人が自分の意思で決めて、ぶれずにその道を進もうとしているわけですから、応援しています。震災が発生したとき、ご近所でも亡くなられた方がいて…。亡くなった方がたくさんいる中で、とにかく家族みんなが元気でいられることは、とてもありがたい。感謝の想いにつきますね。
両親から、こうしなさいと言われたことは一度もありません。芸人さんの弟子入りをしたいという話も、当時はもちろん本気で考えていましたが、友だちの助言があって大学への進学を決めました。私は、したいことを自由にさせてもらっているんですよね。
友だちがまわりにたくさんいますし、神戸が大好き。この先も、神戸をはなれることはないと思います。